ステッカー・エンブレムと時代 [車・バイク]
最近の車と1980年代ごろの車を見比べて気づいたことがある。
外装から文字が減っているのだ。
「TURBO」「DOHC24V」「LIMITED」などなど車名に加えてグレード名や最新機構など、かつては車の側面にもデカデカと描かれていたものだ。
今はもうリアの片隅にメーカーエンブレム、車名、グレード名のみがバッジで貼り付けられるのみ。場合によってはグレード名さえもない。
それはやはり、社会が進化して車を持つのが当たり前になり、様々なレベルが上がってきたからだろう。
技術の進歩でターボ搭載やDOHCにアドバンテージがなくなった
エコ意識の高まりでハイパワーよりエコフレンドリーが競争指標になった
デザインリテラシーが上がり、デカデカと文字を見せることが恥ずかしいと思うようになった
オリンピックの記録のように、クルマも高性能が当たり前になってコモディティ化してしまったのだ。
車はステイタスであった時代、ユーザーはより良いものを手に入れた証明として、外見からわかる特徴を求めた。
目標は2つ。豪華か、スポーティかだ。
大きいサイズのボディ、大きい排気量のエンジン、大径のタイヤ、派手な空力付加パーツ、豪華な内装。
そうすると、性能が高いのに外見からわからないものにはユーザーはカネを払ってくれないので、ステッカーやバッジなどで文字表記することで誇示した。
一番有名なのは、BMW2002ターボのリップスポイラーに鏡文字で「TURBO」と表記したことだろう。先行する車のバックミラーで見ると正しく見えることから、「高性能車だ、見えたら道を譲れ」という意図があったようだ。
量産車世界初だったからかもしれないが、かなりあざとい手法ではある。
現代の技術なら1.4Lターボでマルニターボをを超えられるだろう。しかもより安全で、燃費ははるかに良いのだ。
今はクルマが環境に悪いとか、高くて必要がないとか逆風の時代だが、改めて昔の人から比べたら信じられないくらい良いクルマを安価に手に入れられるようになっていることを忘れてはいけない。
もっとクルマに乗って、楽しい生活を満喫すべきだと改めて感じた。
外装から文字が減っているのだ。
「TURBO」「DOHC24V」「LIMITED」などなど車名に加えてグレード名や最新機構など、かつては車の側面にもデカデカと描かれていたものだ。
今はもうリアの片隅にメーカーエンブレム、車名、グレード名のみがバッジで貼り付けられるのみ。場合によってはグレード名さえもない。
それはやはり、社会が進化して車を持つのが当たり前になり、様々なレベルが上がってきたからだろう。
技術の進歩でターボ搭載やDOHCにアドバンテージがなくなった
エコ意識の高まりでハイパワーよりエコフレンドリーが競争指標になった
デザインリテラシーが上がり、デカデカと文字を見せることが恥ずかしいと思うようになった
オリンピックの記録のように、クルマも高性能が当たり前になってコモディティ化してしまったのだ。
車はステイタスであった時代、ユーザーはより良いものを手に入れた証明として、外見からわかる特徴を求めた。
目標は2つ。豪華か、スポーティかだ。
大きいサイズのボディ、大きい排気量のエンジン、大径のタイヤ、派手な空力付加パーツ、豪華な内装。
そうすると、性能が高いのに外見からわからないものにはユーザーはカネを払ってくれないので、ステッカーやバッジなどで文字表記することで誇示した。
一番有名なのは、BMW2002ターボのリップスポイラーに鏡文字で「TURBO」と表記したことだろう。先行する車のバックミラーで見ると正しく見えることから、「高性能車だ、見えたら道を譲れ」という意図があったようだ。
量産車世界初だったからかもしれないが、かなりあざとい手法ではある。
現代の技術なら1.4Lターボでマルニターボをを超えられるだろう。しかもより安全で、燃費ははるかに良いのだ。
今はクルマが環境に悪いとか、高くて必要がないとか逆風の時代だが、改めて昔の人から比べたら信じられないくらい良いクルマを安価に手に入れられるようになっていることを忘れてはいけない。
もっとクルマに乗って、楽しい生活を満喫すべきだと改めて感じた。
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