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「走り屋」は死語と化したのか? [車・バイク]

20年ほど前、車やバイクをただ速く走らせるために走らせていた集団がいる。
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彼らは走り屋と呼ばれていた。

誰に強制されたわけでもなく、夜な夜な(昼もだが)精を出して道を走り回っていた。

ある時は峠道、ある時は埠頭、ある時は海沿いの直線道路。

速く走ったから賞をもらえるわけでもないし、お金がもらえるわけでもない。

誰かのためになるわけでもない(むしろ騒音や排ガスで迷惑を掛ける方が多い)

ただただガソリンを燃やして加速し、曲がり、ブレーキを踏む。それをすること自体が楽しかった。

でも、いつしか「エコ」が叫ばれるようになり、経済不況も襲ってきた。

速い代わりに燃費が悪い、狭い、うるさいクルマやバイクはだんだん肩身が狭くなってきた。

「ハイパワーのスポーツカーでマニュアル車じゃなきゃ」「レーサーレプリカがかっこいいんだ」

という価値観は徐々に失われ、「7人乗れる」「8人乗れる」「ビクスクが楽チンでいい」ことが

イケてることになってきた。

そしてさらに現代。「もうそんなに人は乗らない」「わざわざバイクの免許なんて取る余裕ない」

「クルマ持つなんてエコじゃないし、クルマオタとかキモい」という価値観に変化してきた。

こんな時代に「走り屋」なんていない。暴走族と同じくらい死語になったのだ。

モータースポーツの頂点、F1もどんどん人気が落ちて来ているそうだ。

いまやコアなファンは40代。あと20年もすれば誰も見なくなるだろう。

でも、走りの楽しさは本当に単なる一過性のものなのだろうか?

自分の意志で乗り物を動かすということ、さらに物理的限界に近づいてドライブすることは

本能的に楽しいことだ。

免許を取り、クルマやバイクを所有するのは確かに経済的なハードルが高いが

一旦運転の喜びを知れば、どんなに時代が変わろうとも興味を持ってくれるはずだ。

行政は税制や免許のあり方を見直し、もっと安価に車やバイクを所有できるようにすることと

メーカーはもっと試乗会や学校への交通教育を頻繁に行うこと、

業界団体は草レースや子供向け体験施設、メディアへのアピールを行うべきだ。

そうすれば若い世代が走りの魅力に気が付き、新世代の「走り屋」が出てくるだろう。

もちろん、安全技術の進歩とルールの適正化でより安全に、より快適に走りを楽しめるように

していかなくてはならない。

時代が進んでも「駆け抜ける喜び」のともしびを絶やさないようにしたい。
タグ:走り屋


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